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言語はこうして生まれるを読んだ


とても良い本だったので久しぶりに本の感想文を書きました。

ジェスチャーゲーム

言語はその場その場の即興的なやりとりで形成される

この本に度々でてくる「ジェスチャーゲーム」という言葉はウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」からきている。発話そのものをいくら分析しても本質を明らかにできないことで、例えば「水!」という言葉が何を意味するのかなんて理解、解釈が異なる。水を取ってほしいなのか、水を飲みたいのか、水の流れをみてほしいなのかなど様々である。なのでコミュニケーションというのは、即興で話される言葉が飛び交うゲームに参加しているだけだという主張だ。

これは非常によく分かる。今こんなことを書くとすごいアンチが何か言ってきそうだが、自分は松本人志の「ビジュアルバム」という作品が大好きだ。その中に「寿司」というコントがあるのだが、この作品見たときに「コミュニケーションって意思疎通ではないんだな」と思った。

この寿司というネタは、とある大将と女将さんが切盛りする寿司屋で、お客さんと社会の不満などを会話しながら話が進んでいくコントだが、寿司を握った大将がお客さんの前に寿司を置くと女将扮した松本一人が、毎回何も言わずに寿司をこれでもかというぐらいに握りつぶしてぐちゃぐちゃにしてしまう。お客さんは、不満な顔をしながらそれを食べるシーンがあるのだが、まさにこれも「言語ゲーム」「ジェスチャーゲーム」だ。

この本の中にも、エンデバー号の乗組員とハウシュ族との交流が紹介されており、お互い言語が分からないまま5日間ほど滞在してジェスチャーなどを通じてコミュニケーションを取っていたという。しかし最低限のことはできても雑談は楽しめかったと後で振り返りをしている。

さらにたった5日間ではなくこれが10年、20年と長期に渡ると語弊も文法も貧弱な言語体系ができてくる。その例で、ピジン言語や、ニカラグア手話の話が出てくる。確かに手話の進化もジェスチャーゲームなのかもしれない

言語ってなんやねん

本の中では、シャノンのメッセージ・イン・ア・ボトルや、チョムスキーの生成文法などの言語学そのもののアプローチ以外にも、生物学的だったり数学的だったりと様々な角度から言語そのものを紹介していく。詳細に書くと長くなるので、簡潔に書くと言語は不完全なものだということだ。

ことばのチャンク化(Chunking)についても紹介されている。人間は単語やフレーズを意味のあるまとまりとして認識して処理している。プログラミングにもチャンク化は、Code Splittingとしてよく見かける。コードを分割し、必要なときに読み込むことがチャンク化なら、言語も必要なときに意味を理解して話すというのはそうなんだろうと思った。

個人的には、生物学的な側面でFOXP2やDCDC2という遺伝子が言語に関するものというのは初めて知り勉強になった。特にDCDC2遺伝子の変異でディスレクシアになる可能性があるというのも勉強になった。

ピダハン族の例も紹介されていた。ピダハンには数と時間に関する単語がなく普遍文法にある再帰もないらしい。そんな言語の世界で自分だったらどうやって生きていくのか考えたけど検討もつかなかった。ただ結局ジェスチャーゲームをしているだけと考えれば少しは気が楽になった。手話を学ぼうとも思った。

人間はマウントを取る生き物

最終章では、AIについても触れていた。とんでもない進化を遂げていて自分もお世話になっているが、この本が書かれたときはまだChatGPTのo-1などはなく3について書かれている。いつかAIも人間と言語を通じて同等レベルまで、意味を解釈して話せるようになるかについて、この著者は最後に「AIはすごいが、人間の知能のコアにある言語的即興には到底手が届かない」的なことを言っている。自分はこれを読んで、違う感想を持った。というのも「人間ってやっぱり自分より下のものを見下す。マウントを取る生き物なんだ」と感じた。最後の最後で何故か悲しくなってしまった。

カオスを楽しめるか

自分は普段プログラミングをしているが、プログラミング言語に即興なんてものはあるのかなと考えた。基本決められたルールに従い、構文解析してパースして出てきた出力結果が言語というかコミュニケーションになる。自然言語にはルールや構文解析もあるし、形式意味論ではeタイプやtタイプみたいな型理論みたいな概念もあるけど基本カオスだ。なので想像もしないことが起こり、刺激が強いし。面白いとは思う。カオスを楽しむことができる。

これを読んで何かを始めようとは思わなかったが読み物としてとても面白かった。